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2008年夏のNew Yorkと冬のNew York

 夏には下の子供と一緒にNew York4日とBoston1日を楽しみました。西海岸は何度か行ってましたが東海岸は初めてです。家内が選んだツアーでしたのでホテルはわりと有名なところを予約していました。
さて、8月のNew Yorkは世界経済の急直下の前で世界中から旅行者がNew Yorkに来ているといった感じでした。米国内からの旅行者が目立ち、さらには中国や韓国など同じアジアの人々が家族連れでNew Yorkを楽しんでいるのがよく見かけ、アジアの景気の強さが感じられました。TS3H0028.JPG
 JFK国際空港で現地の添乗員がピックアップしてくれ、車でManhattanに入り最初はピックアップなんてと思っていましたが初めての場所ではとても安心でした。8月上旬なので非常に暑かったのですが湿度が低いせいか比較的過ごしやすい毎日です。そして地下鉄の駅もとても暑いけれども、思っていた以上にきれいで治安の良さを大変感じ、ここまで治安を回復させたNew Yorkの以前の市長、Rudolph William Louis "Rudy" Giuliani III前市長に感謝です。今では有名な「割れ窓理論」、即ち、建物の窓が壊れているのを放置すると、誰も注意を払っていないという象徴になり、やがて他の窓もまもなく全て壊されるとの考え方からこの名があるそうです。
 毎日5番街、ブロードウェイ、6番街を歩きまわり、そしてManhattanのセントラルパークからバッテリパークまで歩き、博物館、教会、駅、ブランドショップ、ウオール街など朝から夕方まで、さらには夜まで楽しいマンハッタンです。
 1日はペンシルベニア駅から憧れのAmtrakの特急電車に乗りに乗り3時間、憧れのボストンへ。ハーバード大学やMIT(Massachusetts Institute of Technology)マサチューセッツ工科大学など有名な大学があり、歴史が最も長いボストン。コンピュータ業界ではエポックメーキングなMITを訪れました。夏休みでしたが学生や研究者がちらほら見えたものの人が少ないせいか大学構内は無機的な乾燥した印象でした。さて、ボストンといえばロブスター、旅行ガイドに載っていた港に近い有名なレストランで頂きました。
 最後の夜はブロードウェイでミュージカル、「マンマミーア」を観てNew Yorkを離れました、また来たいなと思いながら。

 さて、今度は上の息子と冬のです。ミネアポリスで入国し国内線でラガーディア空港に入りました。もうすでに夕方でしたが、空港でのピックアップがなくてもなんとなくNew Yorkが近く感じ、Manhattanへの空港バスに乗って入りました。
ホテルのチェックインも自分で。13時間?の飛行機で疲れきっていたので、ホテルの風呂でもとバスタブにお湯を入れると、びっくり、薄茶色のお湯がどんどん出てきます。手洗いの方をひねるとやはり薄茶色のお湯が出てきます。そのうち普通の透明のお湯に変わるだろうと思って3分くらい流してぱなしにしても、ずっと薄茶色のまま。さすがにホテルの係へ電話です。ホテルの技術員が来ました。彼は水のタンクはチェックしているとかなんとか早口でまくしたてていますので私の英語力を越えています。文字通り「I don't know what you said!, I can't understand what you said!」で、彼はバスタブを見て無言、そして部屋を変えるならホテルの係へ電話してくれとのこと。カチンときて彼に何か言ったと思います。結局ホテルの係がきて別の部屋へ移動。やれやれといった感じ。ホテルは確かに有名ではないけれど結構大きいホテルで海外や国内の旅行者も多くチェックインしてましたけれど。
 次の日からは夏と同じでManhattanを歩いたり、地下鉄や市内バスで移動したり、タクシーへ乗ったりでNew York観光です。バッテリーパークから市内バスでミッドタウンへ行く途中、中華街を過ぎ、普通の一般の市民が暮らしている街中を見ることができ、Manhattanでは地下鉄より市内バスでの移動がお勧めです。
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 夏に比べ旅行者が少なく感じられ、やはり夏の方が適しているのかと思っていましたが、タイムズスクエアあたりに来ると全く夏と同じく世界中の観光客でいっぱいでした。でも冬に歩き回るのはやはりちょっときびしい。日本に帰ってからかぜで3日ほど寝てしまいました。

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でもでも、やっぱりNew Yorkって最高です!

Mixiについて

 2005年9月に大学のゼミの飲み会があり、そこでお会いした後輩のShunさんからMixiを紹介され、日記のページに2~3回メッセージを入れました。その後そのままにして2年経った今たまたま自分のページを見たら未だに訪問者がありちょっと驚きました。ネット上のデータって消えていく(消していく)のがあたりまえのように感じていましたが、もちろん、Mixiのアプリケーションプログラムがそのように作られていると言えばそれまでですが、データが消えてないことにちょっと意外性を感じました。
 そういえばあの頃は複雑系やネットワーク理論に興味をもっていたんだなあ。

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いろいろなコミュニケーションツール

大学のゼミを通じての知人(Shunさん)からこのMixiのサイトをご紹介いただき利用させて頂いております。コンセプトは友人の友人はまた友人ということで、これをインターネットでやるとはおもしろいアイデアだと思いました。最近ネットワーク理論の本を読んでますが、6人の知り合いだけで世界中の誰とでも知り合えるそうです。言い換えれば、世界中の誰とでもとあなたとは6人を介して通じているという訳です。ちょっと不思議な感じがしますね。このMixiを使う上で、プロフィールとプライバシイとの関係がちょっと気になります。プライバシイですから、本人が出してもいいというのならば全く問題はなさそうですが、どこまでプライバシイを出したときの問題がどこまで気がついているかが重要なのです。またプライバシイを余りにも懸念してプロフィールを余り出さなければその人がわからないので、友人の友人が成り立たなくなります。このあたりみなさんは、どのようにお考えですか?
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マーク・ブキャナン氏が書かれた「複雑な世界、単純な法則」ネットワーク科学の最前線という本です(草思社2,200円)。腰巻には、脳細胞、インターネット、食物連鎖、人間社会...どれも同じ法則に従ってつながっていた!、と書かれていました。以前、複雑系というジャンルに興味を持っていましたが、この本を読んで、問題のアプローチ方法には、いろいろな方法があるなあと思いました。ネットワーク科学に興味がありましたら、ぜひお読みください。きっと面白いと思います!!!
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複雑ネットワーク

複雑系

草思社

マーク・ブキャナン


英語について

 最近、英語で話すことが多くあります。英語は学生時代から好きで、30年前には日本橋の丸善、銀座のイエナ書房に時々行ってはペリカンブックスやペンギンブックスを買っては読んでいました。会社に入り研修後に配属されたシステムの企画部で隣の部署の先輩が数ページの英文のペーパーを持ってきて明日までに訳してきてということで寝る時間を割いて訳しました。この会社での英語はそれだけでした。アルファベットはCOBOLやアッセンブラーで使いましたが....。

さて次の商社系の会社では、毎日テレックスは読まなければいけないし、分からないところはテレックスを送らなければいけないし、時には時差を考えながら電話をしなければいけないし、輸入したシステムのマニュアルは英文、マニュアルで理解できないところがあれば英文の学術論文を読まなければいけない、たまに来る技術者は米国人ということで、空気のようにあたりまえの英語でした。英語の読み書きは負けませんが、話すことはその当時は慣れていないので、聞きなおすことが多かったです。

そして、外資系の複写機メーカーでは、国内営業なのでほぼ英語はいりませんでした。アルファベットの会社名が読めればOKってな感じでした。

そして数年前からNOVAに通い英語に磨きをかけ、ほぼ日常語はOKになる手前でNOVAがなくなってしまいました。英語で冗談も言えるようになり、おかげで外国人と話していても対等な感覚で接するようになりました。知的レベルが高い人とそうではない人が話すことによって感じられるようになりました。それから語彙力を高めようといろいろな教材で試しましたが歳をとると、記憶力には自信がありますが、単語を覚えられない!CD付の評判のいい英語の本を10冊以上購入しましたが、今の単語力って、多分、30年以上前の大学入試レベルから余り進化していないかもしれません。今年は少し力を入れて、英語を勉強したいと思っています。頑張ります、ハイ!


音楽について

 大学時代からクラシック音楽が大好きです。
最初にいい曲だなあと思ったのは、ビゼーのメヌエットです。フルートで奏でられる緩やかな曲はもう余り聴いてはいませんが今でも好きです。それからはいわゆるクラシックの名曲をレコードで聴きまくりました。学生時代は時間もたっぷりあり、オーディオやレコードを買う資金力もあり、そして低域から高域までフラットに聴ける聴力もあり、音楽を聴く喜びを満喫できました。聴く内に、ピアノソロが大好きになり、特にショパンやベートーベンのピアノ曲は聴くたびに感動を呼び起こしてくれます。同時にいつの間にか寝ていることも多いですが。このところショパンとドビュッシーをipodで聴いています。ベートーベンのシンフォニー全曲も好きですが、若いときにはマーラーのシンフォニーもよく聴いていました。それから、バッハ。この考え抜かれた、すばらしい楽曲。若いときにはそれなりに聴け、人生を経ていろいろなことを経ると、また若いときとは異なった感動を与えてくれるのではないでしょうか。人生いつでも楽しめる曲だと、そんな感じがバッハの曲には思えます。
若いときにジャズも聴きました。バッハの曲をベースにしたMJQというバンドの演奏です。でも最近はジャズを聴いていないあ。クラシックコンサートはたまには行くけれど、今度ジャズクラブに何十年ぶりに行ってみようかな。

音楽っていいですね。


論語の薦め

論語、今から2500年前に孔子さまのお弟子たちによって書かれた、儒教の原典です。学校の漢文の授業でその中からいくつかの文章は学び、覚えていることでしょう。

   君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。
   己の欲せざる所は、人に施すなかれ。
   士は以って広毅ならざるべからず。

中国の古典は幾世代にもわたって多くの人々に読まれてきましたが、私も30歳代から時々読み、折々勇気付けられたり、時には慰められたりしました。
ただ、論語だけは、最初から最後まで読んだことがなく、いつかは読もうと思っていました。

でも最近、思うところがあり、論語を3冊購入しました。1冊目は普段持ちあるいているバッグの中へ、2冊目はベッドの横に、3冊目は書棚の中へ、...、つまり、どこでも論語が読めるようになっています。論語はどこからでも読め、どこでも読み止められ、10回読んでも読めば読むほどその深みが理解できるようになり、若いときに読んでも年をとってから読んでも、そのすばらしさが感じられるでしょう。
唐詩を読み中国の墨絵のような風景に遊ぶのもいいですが、古典を読むと、あくせくした日々で迷っていることや悩んでいることに解法のヒントを与えてくれるかもしれません。(昔の人々も現在の人々と全く同じように日々迷ったり悩んだりしたはずですから)

  論語  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

  Lunyu  Wikipedia, the free encyclopedia


ヒコーキについて

 朝、駅まで歩いている時に青い大空をヒコーキが大きな音をあげ飛んでいくのを見ることがあります。
また、高い大空を音もなくジェット旅客機が飛んでいくのを見ることもあります。人間が大昔からできたこと、歩く、走る、泳ぐ、潜る、そうしながらも大空には鳥が舞い、最後に実現されたこと、飛ぶことがライト兄弟がライトフライヤー号を製作し飛行への第1歩を歩んでからそう長い時間がたっていません。800px-Wrightflyer.jpg" border="0" align="" alt="800px-Wrightflyer.jpg" />複葉機、主翼が上下2枚あり、プロペラで飛ぶ姿は優美でとても美しいと思います。速度、動きなど何か人間的なものを感じてしまいます。
今でも現存する複葉機が飛ぶのを見ていると、わくわくする楽しさを感じます。

レシプロ機ではやはり第2次大戦での戦闘機、ロッキードP51、グラマンF8、メッサーシュミット、スピットファイア、そしてゼロ戦、爆撃機ではボーイングB17やB29でしょう。それぞれが名機であり、そのヒコーキ達にそれぞれの歴史を感じさせます。
本来ヒコーキも人間に役に立つために作られ改良されてきましたが、戦争という時には自国を守るために使われました。それぞれのヒコーキ達はF1のフォーミュラカーみたいに機能に徹した美しさを持っており、できれば使われずに純粋にヒコーキの持つ機能美だけを誇示してほしいものでした。

さて戦後、米国を中心にヒコーキは発達しました。音速を超え音速の2倍3倍近くで動くことができる、また何百人もの人を安く安全に遠くまで運ぶことができるようになり、きわめて生活に近いものなりました。いろいろな種類のヒコーキ達の中でもやはりジェット戦闘機は多くの人々に愛されいます。グラマンF14、マクダネルF15などは私の最も好きなジェット戦闘機です。やはり最高に美しい!!

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 青い大空を見上げたとき、そこに主翼を後退させ三角翼になったグラマンF14が轟音をたてながら遥かかなたに飛び去っていく、...までずっと見ている。ヒコーキは私に大空への想いを呼び起こしてくれます。


          

F-14 Tomcat
F-15 Eagle
F-15E Strike Eagle


考えるコンピュータと私

 最近のPCはCPUの性能が早くなり処理能力も高くなりましたが、10年前くらいのPCでは複数のプログラムを実行しているとまるでPCが考えているように見えることもありました。さてコンピュータは考えることができるのでしょうか?

 今から20数年前、1985年頃にコンピュータ業界ではあるブームが起きました。それは「人工知能(Artificial Intelligence、AI)」といい、すぐにでも「考えるコンピュータ」が実用化され、新しいコンピュータが出現するのではというものでした。確かにそのブームの以前から人工知能は米国のマサチューセッツ工科大学(MIT)スタンフォード大学でずっと研究が続けけられており(現在でも研究中であり)いづれはそのような考えるコンピュータが出現することになるでしょう。でもその頃はAI研究の成果が出始め、コンピュータ業界がその実用性に着目しビジネスに結び付けられるのではということで研究投資が行われました。

 米国のXerox社のパロアルト研究所 (Palo Alto Research Center、通称 parc)は多くのコンピュータ研究者を数多く集め当時最先端のコンピュータ研究を行っておりました。現在のラップトップPCのハードウエアのアイデアとしてアラン・ケイ氏のダイナブックの概念、ソフトウエアとしてのSmalltalkというオブジェクト指向言語の開発、Altというワークステーションの原型、マウスプルダウンメニューなどの素晴らしいユーザーインタフェース、スプレッドシートワードプロセッサーなどのプログラムの研究、イーサネットなどネットワークの研究など、現在のPCのハードウエアとソフトウエアを両方研究しており、そのまま行けば、もしかしたIntel、MicroSoft、AppleもXerox社の1部門の商品であったかも知れません。ここで開発されたInterLispというLisp言語(というよりは開発環境)やSmalltalkというオブジェクト指向プログラムなどは、実用というよりまだ研究段階に近かったのかも知れませんが、Xerox社のワークステーション(Dマシン)といっしょにマーケットに投入されました。日本でこの事業を始めるにあたり日本国内でも研究開発が進められ、コンピュータのいろいろな業界から営業や技術者が集められました。AIを研究するところは、大学、大手企業の研究部門やシステム部門、大手ソフトウエア企業などほぼすべての業種に営業活動が行われ、産業界ではエキスパートシステムに注目が注がれ新聞や雑誌にその多くの成功例などが載っていました。しかしながらこのブームはハードウエアやソフトウエアの限界からか数年間で鎮まり、、当初夢見られたような、「考えるコンピュータ」はまだ実現できないことが明らかになってきました。その後ファジーやユーザーインタフェースの向上、ソフトウエア工学の進歩へは貢献したと思います。当時AIに集まった人は、私も含めて、営業も技術者もコンピュータに夢を見て、「計算機械」から「人工知能」への実現を夢見たのではないでしょうか?

いづれこのような「考えるコンピュータ」は幾度かのAIブームを経て実現されることでしょう。

 

「人工知能(Artificial Intelligence、AI)」 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 


コンピュータと私

 現在50歳を少しすぎコンピュータとのお付き合いは30年弱といったところです。その間ダーウィンさんも驚くくらいコンピュータは進化し変化しました。生き残るのは強いものでなく賢いものでもなく、変化するものだけという言葉通りに...。

 大学の時にはコンピュータとのお付き合いは確かPL-1とかいうIBM社のプログラミング言語を数回受講しただけでした。でもこれがコンピュータとの出会いの一歩かもしれません。
大学を卒業して電子機器メーカーに就職し国内の営業統轄部門でいましたので、それからは毎日コンピュータとのお付き合いが始まりました。1年間をかけて社内システム(受発注と販売管理のシステム)を先輩SEと一緒にCOBOLでプログラムを開発し、また後にはプログラムジェネレータやコンピュータ端末のアッセンブル言語のプログラムに携わったためにプログラミングの知識は必要で開発の仕事の合間にはコンピュータの本を読んだり先輩SEから教えてもらったりして勉強もしました。でも営業の世界の方が私には合っているみたい...ということで国内営業の企画部門の一員となりました。営業の経験がないのですが営業の方々の話を伺って営業の仕事の方が私には合っているみたいと段々と思いました。

 さて一方で、世界にはもっと進んだコンピュータがある、最先端のコンピュータに携わってみたいと思い、30歳代初めに大手商社系の子会社へ転職。今から25年ちょっと前にありましたね、最先端のコンピュータ達が...。絵が出る画面(それまでは画面には1行80文字のアルファベットしか見たことがない)、キーボードの横にはマウスと呼ばれるポインティングデバイス(それまでは画面上のカーソルを動かすのはキーボードの横の縦横左右の矢印ボタン)、一人に一台のワークステーションと呼ばれている小さなコンピュータ(この中にモトローラのMC68000やインテルの8068や数十「Mega Bytes」のハードディスクが入っているとは)、リング型LANとかいう構成でトークンでそれぞれのワークステーションが結ばれている、オペレーティングシステムには前に名前を聞いたことがあるが見たことはないAT&TBell LabUNIXとかいうOS.....。これが世界最先端のコンピュータかと目を見張るのみです。また、別の最先端の世界ではCRAYがありましたが。今度はFORTRANの勉強です。まっこれは冗談。営業で採用されたので、遊びでDECのミニコンピュータのVT100ターミナルを使ってFORTRANのプログラムを少々学んだだけです。


 当時のコンピュータの中心はメインフレームというIBMとBUNCH(BurroughsUNIVACNCRCDCHoneywell)の大型システムやDecData Generalのミニコンピュ―タなどクラスターシステムを別にすれば、大型コンピュータに数多くの端末がぶら下がり、TSSで動くのが中心でした。コンピュータは大型を中心とする垂直に構成され、ワークステーションを中心とする水平システムは生まれたばかりでした。クライアントサーバーという概念は当時はまだ聞いたことがありませんでした。社内には種種のCADシステムがありましたが、CADのシステムを見たときには驚きました。だって画面の上で絵を描くとそれが設計のデータとしてCAMという製造工程につながっていく、いままでの財務や会計システムとは大違い、全く驚きました。とにかく画面に絵が出るので!(それもベクトルデータとして扱っているので!)

さて、設計を行えばその検証が必要となり、それもシステム上で行おうというのが必然の流れです。半導体の設計をCADで行えばその論理レベルのシミュレーションやトランジスタレベルのシミュレーションがシステム上で行われ、前工程の設計にフィードバックされまたシミュレーションが繰り返され、期待通りの結果となれば、次の工程であるレイアウトへとつながっていきます。そのシミュレーションのシステムの営業の担当となりました。このシステムはベクトルプロセッサーで有名なCDCからスピンアウトした方が開発した並列コンピュータです。シミュレーションのデータは莫大あるいは甚大なので大型コンピュータでも負荷は大きくそれ専用なバックエンドプロセッサーというものが開発されました。さらにコンピュータシステムにはダイアグというテストデータを流すとどこのボードさらにどこのパーツさらにどこの部分がおかしいのかわかるような仕組みになっており、このテストデータを作るのがとってもとっても大変なことです。(フォルトシミュレーションという特別なシミュレーションを膨大な回数を行います)


 電子工学の知識もなく、シミュレーションについての書籍などは英文でもなく、最先端を走るとはこういうことなのかと痛感しました。1か月ほど膨大な英文マニュアルの翻訳、テレックスによる開発元とのやりとり(当時はE-Mailはまだありません)、営業ツールの作成などでどうにか最低限の知識は会得できたようです。その頃は日本の半導体のシェアが世界的に高く、その非常に高価なシステムをリーディングカンパニィ数社に納めることができました。今から20数年前すなわち1985年頃のことでした。


道(タオ)について

 かなり前のことです。休日の朝早く目が覚めてしまい、何気なくTVのスイッチを入れました。NHK教育テレビで老子について話している内容です。中国の古典、すなわち漢文には30代から関心を持ちいろいろと漢文の本を手に入れ、「菜根譚」という本は私の愛読書の一つであり友人にも薦めています。やはり生きるといことは迷いながら日々をおくることだと思います。あの時の決断はあれでよかったのか、あの時の判断は別の方がよかったのではないか、など仕事でもプライベートでも歳を重ねると決断や判断の重要度が増します。中国の古典には、私にとっては、その解決を示唆してくれる一つなのです。
でも老子の本は名前からして仙人のようで未だ読んだことがないので、TVの話を聞いていました。その方は、加島祥造(かしましょうぞう)さんという有名な方(後から知りました)で、大学の教授を退官し、信州の伊那谷で暮らし、不勉強でしたが後でネットで調べたら、老子についての本を出されてベストセラーにもなったそうです。TVの中でこんなことを言ってられました。

 「お皿や茶わんなどの器には中が空になっている。この空があって器が器として役に立つ。中がつまっていたら器にならない。また家の部屋についても、中が空になっていてはじめて部屋として役に立ち、中がいっぱいであったら部屋として使い物にならない。つまり、何もないことが役に立つといこともある。」

 役に立つとは、普通思うのは、たとえば物ならば対象としての物ですが、老子曰くの、「ないことが役に立つ」。百聞は一見に如かずというように見えることがすべてと思いがちですが、見方を変える、別の価値も考えることも必要なことと思った朝でした。

老子  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

「タオ 老子 」  加島祥造著  筑摩書房


オーディオについて

 大学生の頃、クラシック音楽が好きになり、せっせとせっせとアルバイトをして、オーディオセットを一式購入しました。プレーヤーにはデンオンのターンテーブル、アームにはSME(英国の有名なトーンアーム専業メーカー)、カートリッジには当時放送局で使われていた(と言われていた)デンオンのDL-103Sを使い、アンプにはLUX、FMチュナーにはテクニクス(松下電器のオーディオブランド)、スピーカーにはヤマハとラインアップを揃えました。あっ、そうそうデッキはテクニクスの新たに販売が始まったテープパスがU字のオープンリールにするか、ナカミチの超高級デッキにするかまよいましたが、結局操作ボタンがロジックコントロールで心地よくてダブルクローズキャプスタン?とかのナカミチのデッキにしました(全く高かった)。その頃のオーディオ雑誌には瀬川冬樹さん、菅野沖彦さんの評論記事が掲載されいて、そこにはJBLのモニタースピーカー43xxシリーズやAltecのモニタースピーカー、Mark LevinsonMaCintoshのアンプ、EMTのターンテーブル、Revoxのデッキと今でも憧れのオーディオ機器が毎回登場していました。オーディオの購入と共にLPレコードも段々と増えてきました。ショパン、ベートーベン、モーツァルト、マーラー、ドビュッシー、バッハなどいろいろ聴きまくりました。
 さて、大学を卒業し、コンピュータの営業企画部に入り、もう音楽を聴く時間はありません。更に結婚するとオーディオの予算は全く計上できずに、たまに本屋さんでオーディオの雑誌を立ち読みして、例のJBL、Mark Levinsonがいいなあとと思うだけです。

 そして、最近遅ればせながら、MDプレーヤーからシリコンオーディオを購入し使い始めました。MP3やMP4などの圧縮などは知っており、PCではiTunesでUSBの外付けを使っていましたから、最近の音楽状況は知っています。使ってみるとあの大きさにしてはとてもiPodって音がいいですね。更に音楽だけでなく英語教材を入れ英会話の勉強にも使っています。音楽を聴く時、音楽を聴く場所が時代が変われば変わるものです。あっそうそう、昨年、昔のオーディオ誌を読みたくなり、「ステレオサウンド」誌の六本木の出版社へ行ったところ、そこには発刊当時から揃っていて、時間を忘れ、読んでいました(見ていました)。いい音でまた音楽を聴きたいので、しばらくぶりにオーディオを始めよう!


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